03鷹待城の粟塚長者



鷹待城の粟塚長者
當地方ハ郡代城主ニ於テ治メ来リ
茲ニ人皇七拾二代白河天皇朝承暦年中
 [1077-1080] 美濃波郷鷹侍 粟塚長者 當地方領ス時
貢馬検視場 鷹待ニ建立 功ニ依リ 長者免許拝 子孫相栄 鷹待城成ニ◯処
仁安三
戊子年 [1168] 大政大臣平清盛公 信刕廿八牧ニ貢馬ノ政下給時 當鷹待長者玄蕃 能ク其政ヲ守ル時 平氏ヨリ牧戸(?糸に攵)給リ 美濃波郷管領◯


管理人訳:
当地は郡代や城主が治めてきた。
人皇(にんのう=神武天皇以降)72代の白河天皇の時代、承暦年中(1077〜1080年)に箕輪郷の鷹待に粟塚長者という人物が領していた時、貢馬検視場を鷹待に建立した功績により、長者の許しを受けた。子孫は栄えた。
鷹待城を構え◯ところに、仁安3年(1168年)太政大臣平清盛が信州の28牧に貢馬の命が下り、鷹待長者、玄蕃はその命をよく守って働きがあったので牧戸(?糸に攵)をたまわり、箕輪郷を支配することになった。

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※赤字は管理人が加えた注釈や西暦など