大出沢の坂西氏 vs 木曽氏の合戦(南北朝)1334-1336


『伊那の古城』篠田徳登より  昭和39〜44年執筆


 (大出)古城の城主坂西系の大出氏が亡びたのは南北朝時代のことで、想像するならば、この時の合戦で沢村は殆んどかい滅、四散おびただしい人骨などはこの時の所産であろうか、今は無縁仏の供養碑が立っている。この上の原は蓮台といい、共同墓地となっている。[p60-61]


 建武年間 [1334-1336] 、木曽又太郎家村、権兵衛の峠をこえて伊那に侵入、大出殿討死。ここにあった月照山金剛寺は大出氏と松島氏の位牌所であったが、焼きはらわれてのちに松島に移って、今は金剛山明音寺となって存在している。[p61]


大出氏が木曽氏にやられ、沢村から山麓の長田に引退。桑沢川の北を北大出、南長田の辺を南大出と云った。[p61]