13春宮姓と柴姓



春宮姓と柴姓
柴左左右エ門ハ 柴㔫エ門焏ノ嫡子
后ニ春宮惣右エ門ノ家ヲ継キ 春宮ニ替ル
分家古田ハ柴姓ヲ立

柴氏之大夫信純ノ法名ハ菩提 松島明音寺 旧過去帳ニ有 
㔫ノ通リ

天正元
[1573] 甲癸酉夭
真如院殿德青純仁性海大居士
三月六日 柴氏之大夫信純㕝


天正十六 [1588] 戊子夭
通院殿實相心椎大婦
六月十日 信純室

 

 

管理人訳:
柴左左右エ門は柴㔫エ門焏の嫡子。
後に春宮惣右エ門の家を継いで、姓を「春宮」に替えた。
分家の古田は「柴」姓を名乗った。


柴氏之大夫信純の法名は、菩提寺の松島明音寺の旧過去帳に記載がある。左の通り。

天正元甲癸酉夭(1573年)
真如院殿德青純仁性海大居士
三月六日 柴氏之大夫信純㕝


天正十六戊子夭(1588年)
真通院殿實相心椎大婦
六月十日 信純室


管理人考:
「柴左左右エ門」は、荒神山の荒神社に獅子頭
を奉納した「柴佐左衛門」と同一人物か。→柴佐左衛門の獅子頭
1627年・寛永4年に、やはり「柴佐左衛門」が
樋口の若宮正八幡に、樋口氏・小平氏・漆戸氏・佐々木氏らと一緒に宝殿を建立している。→信濃資料巻二十四



※赤字は管理人が加えた注釈や西暦など