小笠原長時 越後へ逃げる(戦国)1548-1550


『小平物語』小平向右門尉正清 入道常慶  貞享3年 [1686]

「小平物語」 ※読みやすい様に管理人が箇条書き・()などを加えています。


第六 小笠原長時公、越後国へ御浪人の事


天文十八酉 [1549] 、十九戌 [1550] 、両年、武田晴信公、諏訪衆を御先衆に仰せつけられ、小笠原の時分、


・塩尻 ・桔梗原 ・サミゾ 


あるいは東の、

・原 ・氷室 ・スワル ・出川 ・西巻 ・犬飼 ・中原


あるいは、

・野々宮 ・小室原


にて、小笠原之旗本、士(さむらい)大将衆、ことごとく降参つかまつるなり。


木曽殿も降参なり。これはみな、松本辺りのことなり。長時公麾下(きか=直属の家来・はたもと)の人々、御敵にまかりなり候。ゆえに長時公の

・嫡子 治郎長義 

・二男 長貞

貞慶(長時の三男)

・御舎弟 当悦老


御父子、兄弟、長尾景虎公を御頼み、越後へ退散なり。それより長の取り合いも、これなく、静かなり。

道三物語るを円帰、これ記す。