第七・道三 太々神楽を奉納する


『小平物語』小平向右門尉正清 入道常慶  貞享3年 [1686]

「小平物語」 ※読みやすい様に管理人が箇条書き・()などを加えています。


第七・小平道三 奏 太々神楽事


道三は諏訪南大塩山浦に、中頃、居住す。

「小平式部入道」、某兄「小平治部左衛門」、我らが甥「佐五右衛門」、今において居住なり。

これを「道三屋敷」というなり。


我らが兄「内記」、「同 市兵衛」、この屋敷にて誕生す。


治部左衛門」「漆戸伊太夫」は上州宗社(現・群馬県前橋市総社町?)にて、天正年中 [1573-1593] に誕生す。


妹「樋口清左衛門 妻」も諏訪にて誕生す。


市兵衛、保科殿に仕えて、後に弥右衛門というなり。


道三の室は、諸角七郎の女なり。惣兵衛の姉なり。


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望月殿、貯め置かれ金銀財宝、大分、所持致す。一門中は申すに及ばず、郡中に無双の富貴(ふうき・ふっき=金持ちで身分が高いこと)なり。


天文廿一年 [1552] 子歳、武運のため、太々神楽(だいだいかくら=奉納神楽で奉賽の多少によって定められた、神楽の等級を表す名称・大掛かりな神楽)太神宮(天照大神をまつる伊勢神宮)に奏で奉り、子孫ことごとく繁栄致さんと御託すなり。


注:一本道三は未詳月殿貯云々とあり


子孫多数ゆえ、長久のため、太神宮へ「霰釜(あられがま=茶の湯釜の一。胴の地紋につぶつぶを鋳出したもの)を献修し奉る。定めて(きっと・間違いなく)伊勢にあるべきよし。


その頃、神楽を奉奏には、世俗(世間)の言い伝わる。二三歳の馬の毛数ほど金銀が入るとなり。



諏訪 南大塩




霰釜

霰釜の一例




管理人訳:
07.「道三 太々神楽を奉納する