06小笠原氏の支配



小笠原氏の支配・重次郎と羽場城

文治五己酉年 [1189] 鎌倉ニ在 右大臣源頼朝ノ命ニ依リ 當地方ハ甲斐国小笠原長清信濃守従五位ニ任ス
夫ヨリ信劦伊那郡蕗原庄龍野口ノ地ヲ愛シ 茲ニ始テ城館ヲ築キ 城名 古松ノ生茂リ◯ニ松尾城止号称ス
夫ヨリ后ニ 龍野口松尾城止称ス
子孫 松尾城主タリ 當地方 龍野口城主支配ニ属シ 茲ニ降テ 人皇九拾七代暦應四辛巳年
[1341] 龍野口城主 小笠原彦五郎長宗ノ五男 重次郎長常 命ニ依リ 王居出(羽場)ノ地ニ分知築城ス 城名ヲ地号ニ依リ羽場城止号称ス 




管理人訳:
文治5年(1189年)、鎌倉の右大臣 源頼朝の命により、当地方は甲斐国の「小笠原長清 信濃守 従五位」に任された。
この時から信州伊那郡蕗原庄、龍野口の地を愛し、ここで初めて城館を築き、名を古松の生茂る様子から「松尾城」として知られるようになる。
そののち「龍野口松尾城」と言った。

子孫は松尾城主となった。このあたりは龍野口城主の支配に属した。

時代は下って人皇97代(後村上天皇)の暦応4年(1341年)、龍野口城主の小笠原彦五郎長宗の五男「重次郎長常」が大出羽場の地に分地され築城した。城の名は地名をとって「羽場城」と呼ばれた。


・1189〜小笠原長清が龍野口松尾城を築く
・子孫は松尾城主

小笠原彦五郎長宗
 ↓五男
小笠原重次郎長常

・1341 小笠原重次郎長常 羽場城を築く


※赤字は管理人が加えた注釈や西暦など