羽場淵のカッパ伝説(戦国)

羽場淵のカッパ伝説 所在地:辰野町



『伊那の古城』篠田徳登より  昭和39〜44年執筆


 北の沢の深さは十数米位だがこの川が天竜に入る所は淵となって昔はここにカッパが住んでいた。




『街道物語5 伊那街道』三昧堂 木村幸治ほか  1988出版

http://ci.nii.ac.jp/ncid/BN06909048


しくじった河童


 伊那谷を流れくだる天竜川は、名のとおりの暴れ川で、雨期になるとかならず氾濫して川ぞいの家や畑をおし流し、村に多くのわざわいをもたらしたものだった。

 そんな暴れ天竜だが、ところどころには淵もあり、またそれがかえって村びとに不気味を思わせる場所でもあった。天竜川のほとりに、柴河内という一介の百姓がすんでいた。河内は、畑でとれた作物を納屋へ運んだり、市へだしたりするときのために、一匹の馬を飼っていたが、用のないときはたいてい馬は野に遊ばせておいた。

 馬もこころえたもので、河内のおよびがかからないかぎり、かってに野にでて草をはみ、日が暮れるとまた小屋にもどってくるのだった。

ある日、河内がひと仕事すませて家へもどると、なにやら馬小屋のほうがさわがしい。はて?と河内がいってみると、ふだんはおとなしい馬が興奮してはねている。河内がみると、藁のなかで河童が死んでいた。

「ははん」

河内がとびこんで河童をつかみあげると、河童は目をあけた。が、あとのまつり。

「煮てくうぞ、焼いてくうぞ、日干しにして柿の木につるしておくぞ」

河内がおどすと、河童は目になみだをためてぺこぺこと頭をさげる。河内は、腹の中で大笑いしながらさんざんおどかしたすえに、河童を天竜川の淵にはなしてやった。

 その後、河内の家の門口に、ときどき魚がおいてあったという。[p157]


街道物語5 伊那街道 挿絵より



『かわらんべ』天竜川総合学習館 天竜川 川の旅

http://www.cbr.mlit.go.jp/tenjyo/kawaranbe/series_v/series_v_2013.html


第13回 懐かしい遊び場 - 羽場下(はばした) 広報誌かわらんべ133号掲載分


昭和30年代後半、羽場淵辺りは子供たちの遊び場でした。 戦国時代に築かれた羽場城址が淵直上にあり、その縁に立つ巨木の根元の空洞を秘密基地にしていました。羽場淵に注ぐ北の沢川は、伊那谷最北の田切地形をつくり、旧国道153号(三州街道)が渡る煉瓦造りの眼鏡橋を抜けて淵へと行きました。

 この淵は深くて渦を巻き、気をつけないと河童に引き込まれるぞ―と親によく言われたものでしたが、昭和57年災害後の改修工事により、その姿は大きく変わりました。河童伝説(蕗原拾葉「柴太兵衛河童を捕まえること」)は遠い昔のこととなりました。

 下流の河原では、花崗岩の礫を割って水晶をとり、その大きさや形を自慢し合いました。また、洪水後に出現したワンドに魚がたくさん泳いでいたことを今も鮮明に覚えています。 松井一晃(NPO法人 川の自然と文化研究所




管理人考 2015


「小平物語」にも柴河内守と河童の物語が収録されているが、「街道物語」の同エピソードはさらに物語調に脚色されている。柴河内守が百姓だったり、河童が死んだ様な状態で見つかったりは他にはない要素なので、やはり他地域の同様な河童伝説が混じっているような気がしてならない。