小平物語 年表


『小平物語』小平向右門尉正清 入道常慶  貞享3年 [1686]

「小平物語」 ※読みやすい様に管理人が箇条書き・()などを加えています。


小平物語 年表


平賀四郎義信 [1143-1207—] 末孫で、佐久郡の住人 望月城主 左衛門尉信永が小平氏の先祖。
・数代、諏訪に居住す。


1532〜武田信玄のために望月一族みな責め殺さる。小平道三は諏訪頼重の元に。



1538  ・甲州韮崎 台が原の合戦(諏訪・小笠原 vs 武田)

1543  ・武田晴信と諏訪頼重の娘の祝言。諏訪と武田の和睦。
・1543  ・小笠原・木曽・伊那衆が諏訪を攻める。(小笠原・木曽 vs 諏訪・武田)頼重、小笠原と和睦。

1544  ・武田・諏訪が荒神山・福与城を攻める。福与城から藤沢頼親の弟「権次郎」を人質をとり撤退。
・1544  ・藤沢頼親、羽広へ隠遁。
・1544  ・小平出雲、剃髪して道三と名乗る。41歳。
・1544  ・小平道三、幼ない娘を甲州へ人質に出す。

1545  ・諏訪頼重、甲府に呼ばれ殺される。諏訪は武田の支配下に。
・1545  ・小笠原長時と木曽氏が上諏訪の板垣信方を攻める。(武田・諏訪衆 vs 小笠原・木曽)
・1545  ・洗馬、三村、山部、仁科の裏切りで小笠原長時が敗れる。
・1545  ・小笠原信定と伊那衆は板垣信方を攻め勝利するが、松島氏・大出氏・保科氏の武田への裏切りを恐れて下伊那へ撤退。


????  ・武田信玄が長坂光堅を通じて、小平道三の財産を差し出すよう強要する。道三は一部の要求を断り、碁石金を隠す。
・????  ・小平道三、甲府に呼ばれ監禁。取り調べ。その後赦免。領地を半分にされる。


1548  ・深志城、伊那地方のほとんどが、この頃、武田方となった。

1549/50・武田が小笠原長時を攻め、長時一族は越後の長尾景虎の元へ身を寄せる。



1552  ・小平道三、太神宮(天照大神をまつる伊勢神宮)太々神楽を奉納する。

1556  ・南大塩の道三屋敷が燃える。代々の財産・先祖の武功の書物が焼失。




1569  ・上方に移っていた小笠原信定が都六条の合戦で戦死。

1571  ・武田信玄、三河の浜松に出陣。小平辰之介が初陣。小平辰之介(円帰)16歳。

・1571  ・武田信玄、三河の野田に出陣。

1572  ・武田信玄、三河の三方ヶ原に出陣。小平辰之介(円帰)17歳。

1573  ・武田信玄、三河の野田城・岩村城を攻略。その後、吉田城攻めの最中に病気が重くなり死亡。小平辰之介(円帰)18歳。

1575  ・武田勝頼、三河の長篠城攻め。諏訪衆伊那衆、残らず参加。両角惣兵衛、討死。小平道三も深手を負う。小平辰之介(円帰)20歳。


1576  ・小平円帰 婚儀。小平円帰(辰之介)21歳。有賀宮内の娘と結婚。



1582  ・織田信長の武田攻めの際に、代々の財産・先祖の武功の書物が焼失。




1686  ・「小平物語」が執筆完了。