宮所の牧(古墳・平安)

宮所の牧 所在地:辰野町

『伊那の古城』篠田徳登より  昭和39〜44年執筆

信濃十六牧の一つ

 竜ヶ崎城の下の部落を宮所という。この宮所は延喜式信濃十六牧の一つで、ここの田に、ませ口、馬屋尻などの地名が残っていて、この付近に牧馬の産地があったことは明瞭だが、宮所は一体極せまい所だから、放牧してあった牧場はこの付近でかなり広い地域であったにちがいない。小横川をわたった南に仮宿という部落があるが、ある人は、この仮宿はおん柱を引いて来て宿った所から取った名という。仮屋、仮宿の地名は各地にあり、狩りにも通ずるが、一体これは草地の意味だから、牧場関係の地名と考えた方がいい様だ。

 竜ヶ崎城に登って宮所の耕地をみると整然と区画され、さかのぼって考えれば条里制の遺構かも知れない。その北の今村の台地も実によく区画されているのが山の上からうかがえる。地名は拡大もするし、縮まったりするものだ。


『角川日本地名大辞典(旧地名編)』より

宮処牧(古代)

 平安期に見える牧名。伊那郡のうち。「延喜式」左右馬寮御牧条に信濃国16牧の一つとして「宮処牧」と見える。京都では毎年8月15日には「宮所」など11か牧から貢進された馬で駒牽が行われた(政事要略23年中行事八月下)。「外記日記」には「今日(8月15日)信乃諸牧〈大室・新治・宮所・長倉・猪鹿・山鹿〉御馬五十七疋〈六十疋内三疋者,有所煩途中留者〉牽進」とある(同前)。「本朝世紀天慶8年9月9日条にも「今日信濃諸牧〈大室・新治・宮所・長倉・猪鹿・山鹿〉」と見える。