06武田戦争1



『箕輪記』宮下粛  天和4年 [1684]
※読みやすい様に管理人が箇条書きなどを加えています。


武田戦争 #1

 韮崎の戦い〜諏訪頼重謀殺


甲州の守護 武田大膳太夫晴信 父信虎を逐退て一國を押領す 信州の四将 木曽 小笠原 村上 諏訪 會議して武田を打亡さんと まつ 小笠原長時 諏訪頼重の両族を以て 天文七年七月 教来石を過て釜無川に添て韮崎におし入ぬ 伊奈衆 藤澤氏を始として惣勢壹万三千余 後に控て信玄の本陣を亂し逐来らは急に馳か々り忽に切崩すべしと支度せしか 信州勢敗軍して引取ぬ これゟおりゝの合戦に甲州勢 勝に乗り 諏訪頼重 戦屈して 天文十二年 遂に和睦せしか 翌春 甲州にて謀殺せられ諏訪郡は甲州の支配となりて 武田信繁領せり 板垣信形 小尻に砦を構えて 筑摩伊奈をそ 窺ひける






管理人訳:

 甲州の守護である「武田大膳太夫晴信」は父である「武田信虎」を追放し甲斐一国を領有した。信州の四将である「木曽氏」「小笠原氏」「村上氏」「諏訪氏」は合議をして武田を打つこととした。


 まず1538年・天文7年の7月、「小笠原長時」と「諏訪頼重」の両軍で、教来石を超えて釜無川に添って韮崎に攻め入った。伊那衆は「藤澤氏」

をはじめとして総勢1万3,000あまりが後ろに控えて、信玄の本陣を乱したら急襲してたちまち切り崩そうと準備をしていたが、信州軍は敗退した。


 この後、何度かの合戦があったが、甲州勢は勝利し、諏訪頼重は敗北し、1543年・天文12年に遂に和睦した。しかし翌年の春、諏訪頼重は甲州で謀殺され、諏訪郡は武田信繁の領地となった。


 板垣信形は「小尻」に砦を構えて「筑摩」と「伊那」を窺った。


逐退=おい退け

忽=たちまち