木下と久保の間は沼地だった(戦国・江戸)

木下と久保の間は沼地だった 関連地:箕輪町・南箕輪村


『伊那の古城』篠田徳登より  昭和39〜44年執筆


 南から来る伊那往還は久保の台地を通って北に出る。木ノ下と久保の間は沼地であった様で、街道は台地の中段を通っている。今でもその道は里人たちの便利な道として利用されている。南木ノ下地区に入る所から西に大泉を通っていく道を、木曽道という。段丘の中段の古道は、嶺頭院のお寺のうらを通って、帯無川をわたり松島に入る。嶺頭院も、慶長十七年 [1612] に、ここに移されている。[p40]